助産師_浅野さんvol.01 産後ケアサロンを立ち上げた理由とは?
病院やクリニックで助産師として勤める中で、多くのお母さんの産後ケアに携わってきた浅野さん。「もっと一人ひとりと深く関わりを持ちたい」 という想いから「妊活・マタニティケアサロン LUANA」を立ち上げました。浅野さんの辿ってきた助産師としての半生と、サロンを立ち上げるに至った経緯をお伺いしました。
浅野さんのProfile
助産学科を卒業後、看護師として大学病院の小児科で約3年間勤務。主にNICU(新生児集中治療室)、GCU(新生児回復期ケアユニット)を出た後の脳性麻痺のお子さんのリハビリやご家族のケアを担当。その後助産師として大学病院、総合病院、産科クリニックに合計25年間勤務。在職中に院内で産後ケアサービスを立ち上げた経験を活かし、一人ひとりに寄り添ったケアを提供したいとの想いから2024年4月より「妊活・マタニティケアサロン LUANA」を開設。
小児科での経験と学びが今に活きています
interviewer:本日はよろしくお願いいたします。
浅野さん:こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
interviewer:浅野さんは助産師になられて何年になりますか?
浅野さん:25年です。
interviewer:長いキャリアをお持ちですね。これまでの経歴を教えてください。
浅野さん:助産学科を卒業後、最初は看護師として小児科に約3年勤務していました。
interviewer:最初は助産師さんとしてではなく、看護師さんとして勤務されていたのですね。勤務先はどちらの病院でしたか?
浅野さん:茨城県にある大学病院です。そちらの病院で、脳性麻痺の子どもたちのケアをしていました。NICU(新生児集中治療室)やGCU(新生児回復期ケアユニット)を出た後も医療的なケアが必要な、重度の脳性麻痺の子どもたちのリハビリとケアを行う施設でした。
interviewer:お母さんやご家族のケアも行っていたということでしょうか?
浅野さん:そうです。小児科では赤ちゃんやお子さんだけでなく、ご家族全体のケアも重要です。特に、障害を持つ子どもが生まれた時、産後のお母さんは、自責の念が非常に強くなることが多いです。そういったお母さんたちの心のケアも含めて、寄り添うことが求められていました。
interviewer:それはとても大変なお仕事ですね。
浅野さん:はい。でも、そういった経験を通じて、お母さん方から多くのことを学びました。最初は「大変ですよね」「ご苦労されていますよね」という気持ちで接していたのですが、あるお母さんが「私は本当に幸せです。この子が10歳になっても、抱っこができるんです」とおっしゃったんです。
interviewer:それは感動的ですね。
浅野さん:はい。普通の子どもなら10歳にもなると重くて抱き上げることは難しいですが、そのお子さんは低体重で15kg程しかありません。お母さんは「この子がここにいてくれるだけで幸せなんです」とおっしゃっていました。その言葉を聞いて、自分が持っていた価値観の浅さに気がつき、一般論にとらわれていたことを反省しました。
interviewer:その経験は浅野さんにとって、とても意味があるものとなったのですね。
浅野さん:小児科での経験はとても貴重でした。特に、子どもたちの回復力には驚かされました。「一生車椅子のままだろう」と言われていた子どもが、走り回るほど元気になって退院していく姿を見て、人の可能性は無限だと感じましたね。
interviewer:本当にそうですね。お母さんたちも子どもの回復力を信じて、全力でサポートされているのが伝わってきますね。
浅野さん:はい。お母さんたちは「この子は絶対に回復する」と信じていて、その信じる力が彼女たちの大きな原動力になっているんです。それを側で見て、学ぶことが本当に多かったです。
interviewer:なるほど。
浅野さん:実は、私は最初、助産師ではなく脳神経外科の看護師になろうと思っていたんです。
interviewer:それはなぜですか?
浅野さん:脳のダメージは不可逆的(再び元の状態に戻ることができないという意味)と言われていますが、リハビリのやり方によって回復が全く違うということを学んだのがきっかけです。昔、旭川の脳神経外科の病院でそういった取り組みを見て、人間の持つ回復力に驚きました。もっとその分野について勉強したいと思い、それが看護師を目指したきっかけでもあります。
interviewer:そんなターニングポイントがあったのですね。小児科の後はどちらへ行かれましたか?
浅野さん:その後は産科病棟に異動になりました。
interviewer:異動はご自身の希望ですか?
浅野さん:いいえ、病院が決めたことです。入職した年に小児科がオープンしたので、その年に採用された全員が小児科に配属されたんです。私は助産師でもあったので、数年後に産科の方に異動になったというわけです。
interviewer:そうだったのですね。
浅野さん:私は助産師志望でしたので、小児科に配属になった時はキャリア形成に遅れを取るのではと不安になった時期もありました。同じく助産師志望の同期たちが、就職してすぐにお産をとり、スキルアップしていくのを見て焦りを感じていたんです。しかし、先輩方が「この経験は後々、貴重なものになるよ」と励ましてくださり、続けていくことにしました。
interviewer:なるほど。就職して数年後にやっと、希望していた産科に配属されたというわけですね。同じ病院内での移動ですか?
浅野さん:系列は同じですが、大きな病院に異動しました。こちらも大学病院です。
interviewer:そこではどのくらいの期間勤務されましたか?
浅野さん:3年間勤務しました。
interviewer:産科に移動してから、助産師の試験を受けたのですか?
浅野さん:助産師免許は就職前に取得していました。
interviewer:そうだったんですね。助産師資格を取得するには、看護師として数年間経験を積む必要があるのだと思っていました。
浅野さん:就職していなくても看護師の試験に合格していれば、助産師の資格を取得できます。しかしたまに、助産師の試験には合格したけれど、看護師の試験に落ちてしまう人もいるみたいです。
interviewer:その場合はどうなるのでしょうか?
浅野さん:看護師の試験に合格しないと、助産師の資格は無効になってしまいます。
interviewer:そんなパターンがあるのですね。
浅野さん:私は大学4年生の時に助産師の資格を取得してから就職しました。実習先の病院に就職して、すぐに助産師として働けると思っていたのですが、配属先はまさかの「小児科」だったというわけです。
interviewer:そうなんですね。
浅野さん:今になってみると小児科での経験は本当に意味のあるものだったのですが、その病院から産科がなくなってしまったので退職することにしました。
大学病院からクリニックへ
interviewer:次はどちらに行かれたのですか?
浅野さん:自宅から通える範囲にあった、千葉県松戸市のクリニックです。
interviewer:今度はクリニックですね。
浅野さん:月に30件ほどのお産がある、アットホームなところでした。大学病院とは違い、内診もおじいちゃん先生が素手でやるんです。お産も素手で取り上げていました。
interviewer:昔ながらの、昭和っぽい雰囲気ですね。
浅野さん:不鮮明なエコーも先生が「大丈夫です」と言うと、周りの看護師さんも「先生がそう言う時は、大丈夫なんだよ」という感じで(笑)。
interviewer:それはすごいですね。先生の経験と勘がものを言うんですね。
浅野さん:あと、エレベーターがなくて、産後のお母さんに階段で2階まで歩いてもらうこともありました。
interviewer:なかなかハードですね!
浅野さん:でも私が勤めてからすぐに、建て替えで全てが新しくなったんです。美術館の設計を手がける設計士さんのデザインで、外観も内装も洗練されていました。
interviewer:診察スタイルも近代的になりましたか?
浅野さん:先生も素手での診察ではなくなり、とても近代的になりました(笑)。以前は、手術室がなくて、分娩台で帝王切開をしていたのですが、窓から虫が入ってきたりして、まるでアフリカの病院みたいでしたので。
interviewer:それはすごい。
浅野さん:しかし、そのような環境でも病気の感染等は一度もなく、母体の回復にも支障はありませんでした。「人間の回復力ってすごいな」と思いましたね。産後だからといって、そこまで清潔にこだわらなくても良かったんだなと思いました。
interviewer:千葉県松戸市のクリニックにはどのくらいいらっしゃいましたか?
浅野さん:6年間勤務したのですが、都内に引っ越すことになり退職しました。
院内で立ち上げた産後ケアサービスが大反響
interviewer:次に働かれたのはどちらの病院ですか?
浅野さん:都内にある病院に勤めたのですが、職場環境が合わなくて体調を崩してしまい半年で退職しました。それでその後は、千葉県柏市のクリニックに10年勤めました。
interviewer:千葉に戻られたのですね。
浅野さん:当時は年間1,300件〜1,400件のお産がありました。助産師が不足していてかなりハードな勤務でしたが、私は忙しくてもなんとかやっていけるタイプなのでたくさん経験を積ませていただきました。
interviewer:最高で1日あたり何人お産を取り上げましたか?
浅野さん:9〜10人の日もありましたね。
interviewer:そんなにですか!それはすごい!
浅野さん:院長が敏腕で、産後ケアも導入しており、体のケアの専門家やラクテーションコンサルタント(母乳育児を支援するために必要な技術・知識・心構えを持つ専門家)もいました。
interviewer:色々と充実していますね。
浅野さん:病院が研修費用を出してくれることも多く、資格を取ると昇給するシステムもありましたね。私もここでラクテーションコンサルタントの資格を取得しました。
interviewer:千葉県柏市のクリニックでは他にどのような経験をされましたか?
浅野さん:日帰りの産後ケアの立ち上げに関われたのはとても大きな経験でした。その経験が今の事業をする上で役立っています。「産後ケアは、需要あるけれど周知されるまでに時間がかかるよ」とベテラン助産師さんに言われていましたが、実際に反響が出るまで1年ほどかかりました。
interviewer:それは大変でしたね。
浅野さん:最初は「利益は気にしない」と言っていた院長先生も、あまりにもスローなスタートに焦りを見せていたのを覚えています。
interviewer:院長先生は厳しい方ですか?
浅野さん:身内には特に厳しいですが、お母さんたちのために必要だと思えば、しっかりと設備投資をしてくれる方でした。
interviewer:患者さんのためには努力を惜しまないんですね。
浅野さん:はい。これまでの経験から体のケアが本当に大事だと感じていたので、骨盤矯正などのケアを取り入れていただきました。
interviewer:現場の声が反映されるのは素晴らしいことですね。
浅野さん:院長の許可を得て、骨盤矯正の先生を病院に招いて、私や他のスタッフが技術を習得するまで指導してもらいました。
interviewer:本格的ですね。
浅野さん:産後のお母さんが利用できるサービスとして、骨盤矯正の他に育児相談、母乳相談、お母さん同士の交流会、ベビーマッサージ、アロマなどが用意されていたのですが、骨盤矯正がとても人気で、全体の予約の約半分を骨盤矯正が占めるという結果になったんです。
interviewer:なるほど、やはりみなさん産後は体が辛かったんですね。
浅野さん:そうなんです。赤ちゃん連れで安心して来ることができるので、繰り返し来てくださる方も多かったですね。
interviewer:次はどちらにお勤めされましたか?
浅野さん:次は東京都荒川区のクリニックです。
interviewer:転職のきっかけは何でしたか?
浅野さん:外部から来られていた先生とお産をご一緒した際に「お産がすごく上手ですね」と言われて「浅野さん、いつまでもこんな風に働いていたら疲れてしまわない?この先どうしたいと思っているの?」と聞かれたんです。
interviewer:どう答えたのですか?
浅野さん:「心穏やかな院長先生の下で、1人ひとりと深く関わりを持てるクリニックで働けたらいいなと思っています」とお話したんです。そしたら「これからクリニックをスタートする、いい先生を知っているから紹介するよ」と言われました。
interviewer:それが東京都荒川区のクリニックだったんですね。
浅野さん:はい。それがご縁で勤めることになりました。
interviewer:10年も勤めた病院を辞めるのは大変だったのではないでしょうか?
浅野さん:そうですね。病院をより良くしていくために意見を出し合っている段階でもあったので「一段落するまでは続けてほしい」との声もいただき、少し時間がかかりました。
施術が口コミで人気になったのをきっかけにフリーランスへ
interviewer:東京都荒川区のクリニックではどのようなことをされていましたか?
浅野さん:それまでの経験を活かして、入院中のお母さんたちに体のケアを提供していました。コロナの時期でしたので、面会が制限されていたため、入院中のお母さんは自分の体や赤ちゃんに集中できる時間があったんです。最初は無料でやっていたのですが、お母さんたちの間で話題になって「私もやってほしい」という声が広がっていきました。
interviewer:無料はすごいですね!
浅野さん:不平等感が出ないようにその後有料にすることになりました。ですが、すぐに予約がいっぱいになりました。「このケアを受けたいからこの病院を選んだ」という方も増えてきて、徐々に値上げをしていきました。
interviewer:需要が高かったということですね。
浅野さん:無痛分娩中は痛くないけれど、麻酔が切れると一気に痛みが出るので、そのようなタイミングで施術すると「すごく楽になった」と喜んでもらえましたね。退院後も「また受けたい」という方が増え、最初は病院で施術していたんですが、コロナの感染対策のため病院での施術が難しくなったために訪問スタイルに変わりました。
interviewer:自宅に訪問までしてくれるんですか!
浅野さん:当時はクリニックもオープンしたばかりで分娩数も少なかったのでできたことですね。
interviewer:東京都荒川区のクリニックにはどのくらいの期間いましたか?
浅野さん:4年間勤務しました。産後ケアの立ち上げなどもお手伝いさせていただきました。
interviewer:訪問でのケアはどのようなサービスになるのでしょうか?
浅野さん:荒川区では、訪問ケアのシステムがしっかりしていました。でもお隣の足立区にはそういった事業がなかったので、自治体によって全く違いますね。
interviewer:区のシステムが整っていたことで、浅野さんの訪問ケアサービスもやりやすかったということですね。
浅野さん:そうですね。病院で見せているのはやはり患者さんのよそ行きの顔で、家庭ではその方の本当の姿を見ることができます。ご家族との関係性もよくわかりますので、生活環境に合わせたケアができるのがとても大きいと感じました。
interviewer:旦那さんのケアも含まれますか?
浅野さん:もちろん、旦那さんのケアもとても重要視しています。
interviewer:なぜ東京都荒川区のクリニックから独立してフリーランスになったのでしょうか?
浅野さん:最初は勤務しながら、休みの日や夜勤の前後に訪問ケアをしていました。施術に必要なものは全て持参するので、重たい荷物を背負って訪問するのはなかなかハードでしたね(笑)。2024年4月まで勤務していて、その後完全にフリーランスになりました。
interviewer:そこで立ち上げたのが「妊活・マタニティケアサロン LUANA」ですね。
浅野さん:そうです。最初は「ルアナ助産院」という屋号で訪問ケアサービスを荒川区でフリーランスとして開業しました。
interviewer:「妊活・マタニティケアサロン LUANA」設立の経緯を教えてください。
浅野さん:「鎌ヶ谷バースクリニック」の市村健人先生が、産後ケア事業を立ち上げるということでお声かけいただいたのが始まりです。
interviewer:なるほど。
浅野さん:私が一人でフリーランスとして活動している時に「ただの部活みたいな形じゃダメだよ。事業としてちゃんとやらないと、誰も一緒にやりたいと思わないよ」と言われて、確かにその通りだと思いました。
interviewer:それが「妊活・マタニティケアサロン LUANA」の誕生につながったというわけですね。
浅野さん:当時、たまたま見てもらった占い師の方にも「今の生活を続けたら3年で死ぬ」と言われていたので、それもきっかけの1つでした。そして、経理やマーケティングなど、専門家のサポートを受けながら事業として形にしていくことを決めました。
interviewer:オープンして半年が経ちますが反響はいかがですか?
浅野さん:おかげさまで多くの方に来店いただいています。本当にいろんな方の力を借りてここまで来られました。私一人ではここまで来ることはできませんでした。感謝の気持ちでいっぱいです。
interviewer:今回は「妊活・マタニティケアサロン LUANA」を立ち上げるまでのお話を聞かせていただきありがとうございました!
浅野さん:ありがとうございました!
interviewer:次回は「妊活・マタニティケアサロン LUANA」ではどのようなサービスを展開しているのか、引き続きにインタビューをさせていただきます。よろしくお願いいたします!
浅野さんが代表を務める「妊活・マタニティ産後ケアサロンLUANA」
今回インタビューさせていただいた浅野さんが代表を務める「妊活・マタニティ産後ケアサロンLUANA」。
助産師歴26年(2024年現在)の浅野さんが、これまでの3,500件以上の施術実績を基に、一人ひとりに合わせたカスタムケアプランを提供中。
詳しくはホームページをご覧ください。
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